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2012年05月18日

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沖縄復帰40周年で感じたこと

5月15日は本土復帰40周年。
僕は沖縄に住んで述べで13年目になりますが、本土出身者なのか15日の新聞で改めて「そうなんだ」って実感でした。
正直な感想はゼロに近い。
長い歴史の中で沖縄が日本である時期は、非常に短く何処からかの線引きには多少の議論も必要でしょうが、琉球藩の設置からと見ると、太平洋戦争の終戦までの74年間と、米統治の返還後から今までのたった40年期間の100年ちょっと。
歴史的な物差しで見ると決して長くはありません。
琉球藩の設置以前の琉球王国の王位は、中国からの任官である清朝の諸公国であった経緯や、今の沖縄に根強く残る文化の背景も中国の影響を受けたものも多いのは皆さんもご存じのとおりでしょう。
旧暦、清明祭、石敢當などなどは代表的な存在ですね。

そんな背景からからこの島は、日本として考えるより、沖縄として考えるべきなのかなともよく思います。

このような歴史的な背景や事実などを見て、沖縄の皆さんはどう考えているのだうかもよく疑問にも感じます。
あまり議論された形跡もありませんし、タブー感も多く、成否や優劣を付けれる問題もないとは思いますが、今の米軍問題や基地問題もこのような沖縄県民のコンセンサスの取れた見解が必要であり、見方が必要ではないのかなとは最近よく感じます。これは政治的にというより歴史的な統一見識という意味でのでしょうか。いわゆる琉球アイデンティティーというか琉球ナショナリズム的な意味で。って書けば少し過激にも感じますが、今の日本国としてのナショナリズム傾向に流される意見や考えには僕は違和感を感じます。
維新の会にも沖縄からの参加者もいらっしゃるようですが、明治維新が日本の開国と近代化を迎えた夜明けとは理解していますが、結果として沖縄の国家としての主権独立を失った出来事である背景も忘れてはいけない事実です。
もちろん僕個人的には橋下さんが頑張っている改革や政治路線は大いに支持していますし、あれくらいでなくては日本の既得権益や、旧体質は崩せないとも感じています。ですが、歴史的背景から沖縄がそのままその潮流に乗るべき物ではないのかもしれません。日本本土と歴史的な流れは全く違う沖縄。そしてその中で議論しなければいけない時期に差し掛かったのかなとも感じた5月15日でした。

子供のころに最近まで主権を持った他の国だった沖縄だからこそ、非常に興味をもったのを思い出しました。沖縄の観光資産でもある独特な文化はこのような背景から生まれたものでもあります。アジアに近い地政学的なポテンシャルもそうです。そんな興味から多くの観光客が沖縄にリピートしているのも事実でしょうし、僕の沖縄の今の生活があるのかもしれませんね。
これを機会に深く考えてみたいと思います。

駄文に長々とお付き合い頂きましてありがとうございました。
15日の朝にふと思った事をまとめてみました。



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オスプレイの問題(2012-10-07 21:42)

Posted by cyborg-z at 15:46│Comments(5)政治関係

この記事へのコメント

タブー視されているというよりは、過去の歴史の価値観を私たち沖縄の人間が過小評価しているように思います。教育のせいだけにしたくはありませんが、どうしてもヤマトからの視点で物事の評価をしてしまうクセが私たちにはあるようです。それを壊していくのが若者の仕事かもしれません。(といっても私は若くはないですが (^_^;) )
Posted by 新垣 覚 at 2012年05月18日 17:49
こんばんは(^^)
わたしは、18歳で沖縄出て内地で就職をしました。
その後、大病をしましてリハビリを兼ねて働いた工場で初めて沖縄県からの”季節労働者”の存在を知ります。
(わたしは、内地の仕事場に恵まれていました。)

沖縄の現状に目を向けるきっかけでもありました。
灯台元暮らし、沖縄の季節労働のことを知らずに私は東京でぬくぬくと暮らしていたわけです。
”病気”に感謝です。

しかも、沖縄県はボーナスが無い企業がほとんどという事実も40歳で初めて知りました。
お金があるから、幸せ・・・とは大病したのでいいません。

お金より、健康です。
それと、”仕事”で得る”誇り”・・・。
生意気な書き込みでしたらすみあせん。

なにごとも?シンプルが一番ですよね?
Posted by 三河の嫁さん at 2012年05月19日 02:00
いかなる歴史的経緯があるにせよ、タブーはよくないですよね。
ヤマトが押しつけた負の歴史、自ら侵した過ち(復帰は基地の固定化と集中化を画策した政策であった)も含め、
沖縄はそのことを総決算した上で、
将来のビジョンに自ら打ち立てるべきだと思います。

そのように考えると、いかなるナショナリズムも排撃的要素が含まれているなら支持できません。基地をヤマトに持ち帰ってという主張がいまや主流ですが、やるつもりがないヤマトに、あるいは本気でやろうとしているかわからない考えは、これまでの歴史を繰り返すだけと考えています。

ナショナリズムは融和するという勇気と、基地を世界から廃絶していくビジョンを打ち立てないと私は支持できません。
琉球ナショナリズムの高揚は、日本ナショナリズムとの対決を招くだけかと思われます。
反ヤマト主義が息苦しい社会にならないことを願うばかりです。
Posted by 仲村清司仲村清司 at 2012年05月19日 04:55
いかなる歴史的経緯があるにせよ、タブーはよくないですよね。
ヤマトが押しつけた負の歴史、自ら侵した過ち(復帰は基地の固定化と集中化を画策した政策であった)も含め、
沖縄はそのことを総決算した上で、
将来のビジョンに自ら打ち立てるべきだと思います。

そのように考えると、いかなるナショナリズムも排撃的要素が含まれているなら支持できません。基地をヤマトに持ち帰ってという主張がいまや主流ですが、やるつもりがないヤマトに、あるいは本気でやろうとしているかわからない考えは、これまでの歴史を繰り返すだけと考えています。

ナショナリズムは融和するという勇気と、基地を世界から廃絶していくビジョンを打ち立てないと私は支持できません。
琉球ナショナリズムの高揚は、日本ナショナリズムとの対決を招くだけかと思われます。
反ヤマト主義が息苦しい社会にならないことを願うばかりです。
Posted by 仲村清司仲村清司 at 2012年05月19日 04:56
沖縄の歴史は極めて複雑で、正確な歴史の記述も教育もされていません。そして、政争の具に利用されている事が多いように思います。

まず、琉球の歴史500年という表現も正確ではなく実質主権国家だったのは50年程度だということです。江戸時代初期から実質薩摩藩の配下にあり幕藩体制に組み込まれていました。琉球処分という言葉も誤って理解されています。沖縄県設置以降沖縄も勉強さえすれば誰でも出世できる平等な社会になり庶民は農奴的生活から解放され、処分されてのは琉球王朝の特権階級の人たちです。

また、琉球処分がなければ琉球王国として王朝文化が続いていたかのような事をいっていますが、明治維新は西洋列強の植民地になる危機を回避するための政変だったわけで、琉球王国も同様に植民地になる危機にひんしていたことが見逃されています。いや、明治維新が失敗したらまっさきに西洋列強の植民地になるのは琉球だったのです。実際ペリーは浦賀に行った時に幕府が開港しなければ琉球を植民地にするつもりだったのです。もし、幕府が開港しなければ、沖縄は1945年ではなく、1850年代に琉球はアメリカ合衆国の植民地になり、沖縄を失った日本は日清日露戦争も戦うことができなくなり近代化に失敗していたかもしれません。 他にもサンフランシスコ講和条約でどのように日本が沖縄返還の可能性が残るように外交努力したかという事実沖縄では報道されず、沖縄祖国復帰運動の母体となった祖国復帰協議会の実態は安保闘争であり、裏では毛沢東が愛国反米運動を扇動するように意図を引いていたという事実があります。このような正確な歴史的考察もなく、沖縄の歴史を下にナショナリズムを語るのは非常に危険だと思います。
Posted by 仲村覚 at 2012年05月21日 22:59
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