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2010年12月20日

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アフガンへの道

昨日のブログで初の海外旅行がアフガニスタンだったことを書いています。
前回までのあらすじを是非お読みください。

昨日のブログ → アフガニスタン潜入

ほんとうは明日は関係する会社の株主総会があり、その資料の作成に追われてブログを時間をかけて書くことができません。昨日と同様に駄文でありながら、誤字、脱字の連続で読み辛いかとは思いますが、お付き合い下さい。
そして書き方変えますね。

パキスタン、アフガニスタン国境付近の気温は日中は40度ちかくなります。
恐らく想像する日本の夏のそれ以上。日中行動は3時間が限界です。また訪れた時期が7月と、一番暑いシーズン。ベースとなるペシャーワルからカイバル峠までの往復を何度も繰り返す中、次第に顔見知りも増え親しく情報を提供してくれる住民も多くなった。飲み物、食べ物はいつもながらもらえる。日中の出先で自腹で食事をした記憶が全くなく(あったかもしれませんが)付近で振舞ってもらったりと、とても戦乱のある地域には思えない毎日が率直な感想。それには今のアフガニスタンと環境と政治情勢が全く違うのを理解しなければならない。
当時のアフガニスタンはまだソビエト連邦軍が駐留し、撤退を始めたとはいえ域住民に対する殺戮などが繰り返されている時期であり、米国が水面下でアフガンゲリラ「ムジャヒディーン」に対し武器、資金等の供与をしていた背景がある。彼らムジャヒディーンはこの戦争を聖戦と呼び、西側国家の武器を手に取り、ソビエトにバックアップされたアフガン政府軍と戦争を続けているわけで、今の米国主導の多国籍軍VSタリバンとは全く背景が違う。
その後約10年間カブールを中心にアフガン共産政府は勢力を維持するが、陥落。そしてムジャヒディーンの統治が始まるが、その中で勢力を伸ばしたのがタリバンである。その後イスラム原理主義の国家として(国家の機能としては不明です)歩む中、アル☆イダの潜伏等の疑惑で米国との対立となり現在に至る。
このような背景から対米イコール対日感情も芽生え、アフガン国内では日本人すら犠牲となる事件も起きた。この頃の背景と、私が滞在していた時期の同国は、これらの状況が全く逆であり、親アメリカ、親日本であり何処でも歓迎されたのはそんな理由からである。そんな様子を印象付ける出来事もあった。たまたま偶然にこの国境付近の町であの懐かしい「なるほどザ・ワールド」のクルーご一行も見かけた。そんなバラエティークイズ番組ですら越境可能な環境。恐らく大半の皆さんは、多くの米兵が命を落とす今のアフガニスタンを想像して「何と勇敢な!」「何と命知らずな」と言う印象を持たれたであろう。感覚的にはそれほど危険な地域という印象は受けない。もちろん冷静に考えると危険なのは変わりは無い。道を外れると何処に散布された地雷があるかわからないし、化学兵器もある。対人地雷も沢山見かけた。町中武装勢力だらけ。
今回の旅行は3名と始めに書いたが、危険なエリアを歩く時は、3名の中でのルールがあった。それはトランプ。行きのフライトの最中、時間に持て余し始めた遊びだったが、やがてポイントマン(先頭を歩く者)をこれで決めようとなり、ある意味命を張ったゲームとなった。もちろん私は負けません☆こんな賭けでは人生で一度も負けたことはない。

こんな毎日を過ごしている間に何度もアフガンに足を運びこんでいた。
特別越境という認識も無く。それは元々パキスタンとの国境付近はトライバルエリアといって無政府状態の空白地帯が広がり、アフガンゲリラの休息地でもあり、そこをベースにカブールに対する攻撃を行っている。

アフガンへの道



この地図でみると私達が徘徊していたのは、ジャララバード近郊。
ゲリラ勢力が確保しているエリアで比較的安全地帯。もちろんソビエトがほぼ撤退を終え、一部の部隊がまだカブール市内に滞留しているだけで、攻勢に展開することは既にない。
一応は政府軍のハインドヘリや、空軍機が来る可能性はあったかも知れないが、幸いに一度も見かけることもなく今回の旅は終えた。ここで見たもの。勇敢な子供達。自分達の祖国を、自分達の力で作り上げたい強い意思を感じさせられたこと。これが一番印象に残った。これら以外地雷で足を失った人、手が無い人もたくさん目にした。虚ろな眼差しの人もいた。だが多くの住民はみんな意欲に湧いてい笑顔があり、明日を信じて今を精一杯生きている。そんな感じが強く伝わった。今の日本では感じる事も見ること出来ない光景。
最近那覇の某所でパレスチナの写真展を、知り合いの大先輩のススメで見て来た。
何か久々にこの若かりし日々の事を思い出した。
また数年後にこんな場所を訪れている自分を想像して。


ちなみにこの後、このような場所を多くの人に知ってもらいたく、カメラ片手にカレン族の村や、砲撃の見える最前線なども何度か訪れました。またその様子も機会を見つけてブログに書きますね。

駄文に最後までお付き合いいただきましてありがとうございました☆





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Posted by cyborg-z at 00:02│Comments(1)昔話&思い出

この記事へのコメント

cyborg-zさま☆彡

はじめまして♡

関西を網羅し
沖縄と東京もカバー!

いろんな色がイッパイなんですね!
素敵な年末年始をお過ごしください♡
Posted by First ☆ Star 屋宜朋子First ☆ Star 屋宜朋子 at 2010年12月21日 09:18
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