紺野昌彦オフィシャルブログ・絶えまない変化の先に

紺野昌彦オフィシャルブログ

LINEで送る

2010年12月18日

このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

アフガニスタン潜入

ブログのサイドバーに過去の旅行暦があります。
海外放浪?旅行?の第一歩となったのが実はアフガニスタン。
1980年代後半、当時の世界は今以上にキナ臭くまだ各地で硝煙の匂いが立ち込める時代でした。東西冷戦は緩和されつつありましたが、ソビエト連邦を始めとする旧共産圏国家は健在で、アフガニスタンからソ連軍が撤退を完了させたのが1989年。アフガン侵攻が始まって10年後のことでした。

アフガン侵攻
アフガニスタン紛争(1978年-1989年)では、アフガニスタンで断続的に発生している紛争のうち、1978年に成立したアフガニスタン人民民主党政権に対するムジャーヒディーンと呼ばれる武装勢力の蜂起から、1979年にソビエト連邦が軍事介入を行い、1989年に撤退するまでの期間を扱う。
ソ連・アフガン戦争と呼んだ場合、アフガニスタンの反政府組織や義勇兵とソ連軍の間で発生した戦闘を指す。ソ連軍のアフガニスタン国内の戦闘は1979年の出兵から1989年の完全撤収まで約10年に及んだ。


いいネタなんですが、仕事合間に猛スピードで書きますので誤字、脱字はご勘弁を!!
冒頭に書いたように僕の始めての海外旅行は1989年のアフガニスタンなのです。
今でも政治や経済をよくブログに書いていますが、当時からニューズウィークやアエラなどが大好きだったという背景、そして当時流行していた落合信彦氏の影響もあったのでしょうか。そして何時の日か世界で起きる事件を一度この目に見てみたい。そして自分自信にどのような変化、感情を抱くのかを確かめたい、そんな好奇心に駆られたのが、主な理由だったと記憶しています。以前ブログで中学時代に沖縄への一人旅を書きましたが、その経験で行動力に自信がついたのでしょうね。その好奇心が数年後に海外にまで及ぶことになった結果がアフガンだったのです。

当時はまだ関西空港もなく、海外への出国は成田空港。
アフガニスタンへは隣国のパキスタンからの陸路が今でも主流で、今回の計画を立てるために用いた資料は、アメリカの雑誌、ソルジャーオブフォーチューン誌。偶然にパキスタン、アフガニスタン国境の潜入が特集されており、その記事が一番の後押しになった感はですね。今ではもう少し密に計画を立てていますが。。

ペシャーワル1日目は旅の疲れがどっと出たのでホテルでゆっくりと過ごす。
そして翌日から行動開始。付近の町で散策しながら仲良くなったタクシードライバーに地図を見せ、国境付近を指差して「ここに行きたい」と先ずは滞在している街より30kmくらい離れている街に。その付近は既にトライバルエリアと呼ばれるパキスタン政府の力が及ばないエリア。ここまでの移動でよく見た光景がある。それは信号待ちの度に、子供達が水を売りに来たり、窓を拭きに来たりと働いている。何となくの光景にしか見ていなかったが、この付近まで来ると、移動ではなくその子供達と直に触れ合うこととなり、なんか複雑な心境になる。このエリアでは子供が多い。その子供は干しレンガを作っていたり、運んでいたりとみんな働いている。その複雑な心境の理由は、その子供達はアフガニスタンからの難民なのです。その辺りで話した人に聞いたら、「あの子のお兄さんは先月14歳になったので武器を取りアフガンに戻った」「あの子の両親は国境付近で政府軍のはインド(攻撃ヘリ)に殺された」などと。。既に想像してたエリアに自分が居ることに深く痛感する。そして町中武装した男達が。。でもこれはまだ目的地の入り口に立っただけの光景。
それから何日かこの場所に足を運ぶ事に。それは情報収集と、実際に行く手段を見つけるために。

アフガニスタン潜入



そして数日後ハイバル峠を越えた国境最後の街付近の集落を転々とする。
ここで驚いた事がいくつかあり、その一つは行く先々で飲み物や食べ物に困る事が殆どないこと。「どこから来た?」「日本です」と言うと、飲み物や食べ物を振舞ってもらえた。嬉しいかった。そして近所の有力者に直ぐに紹介してもらえ、そこでも食事を振舞われた。そしていたるところにいる武装勢力「ムジャヒディーン」いたるところにある武器の町工場。町中武器だらけ。そしてアフガンの難民キャンプへ。ここは子供ばかり。何かプレゼントしたいとお菓子や、おもちゃを買って行った。そして子供達に何が欲しい?と聞いたら、「ペン」「ノート」「教科書」などという答え。もちろん通訳を介してだ文章に不本意な言葉も多く出てきます。。

続き→ 続アフガニスタン

駄文にお付き合いいただきましてありがとうございました。
感想などコメント頂けましたら幸いです。

アフガニスタン潜入





絶えまない変化の先に

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 


ブログランキングクリックご協力ください






同じカテゴリー(昔話&思い出)の記事
クラッシック
クラッシック(2010-12-25 22:43)

アフガンへの道
アフガンへの道(2010-12-20 00:02)

Posted by cyborg-z at 23:49│Comments(3)昔話&思い出

この記事へのコメント

はやく続きが読みたいですね。
Posted by ヤラザル at 2010年12月19日 11:32
こんばんは☆^^
読ませていただいていて、自分自身が恥ずかしくなりました。やろうと思えばいくらでも勉強できる環境の生活をしてきてるのに、子供のころは何もせず、将来も考えもせず、ただただサッカーに明け暮れてました・・・
勉強したくてもできない子供達が多くいること、何かしてあげられることを考えないといけないと思うと同時に、環境が整ってる環境で生活してる自分自身を改めないといけないなと思いました。
Posted by happy@coachhappy@coach at 2010年12月19日 18:19
ヤラザルさん
世間をお騒がせしそうなワードは省きましたが(汗)またよろしくお願いしまーす☆

happy@coachさん
環境があるのと無いのと欲求は変わるのでしょうね☆いかに物質ともに平和な国に生まれてさらにボケてんだろうって思いましたよ(^^;
Posted by cyborg-zcyborg-z at 2010年12月21日 20:06
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。

コメントを書く

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。