一人で起業をスタートする楽しみ(始点は沖縄)

cyborg-z

2014年06月18日 17:27

一人でスタートする楽しみは格別です。
僕の現在の会社も基本新興国へ1人で乗り込むことからスタートします。
そのはじめの第一歩は沖縄からでした。
1999年に単身で沖縄に住み込んだのが多くのキッカケとなったのは紛れもない事実です。
そんな紺野昌彦の思いと、効用を書いてみました。
僕は大阪出身で子供の頃から京阪神地区で生活していたため、当然がら当時の多くの友人たちは地元の仲間です。
親が自営業という関係もあり、多くの実業家さんなど事業者さんも身近に多く、意外となに不自由のない生活で、生活していました。
そうです世間でいうボンボンの部類です。

また多くの友人にも恵まれ、自営業でもいくつかは成功させていましたし、サラリーマンをしながらでも副業で副収入も作りなんやかんやと好きなことが出来た青春時代でした。

ですがこれが自分自身の本当の実力なのかいつの日も疑問に感じていました。
自分自身でもわがままな性格は理解できていましたし、甘い性格もズボラな性格も、周りの恵まれた環境も理解できていました。

無縁の場所で一人でなにかスタートしたら、どこまで行けるだろうか?どこかで改善もさせたいなどと、よく考えていたのですが、これは小説家でもある司馬遼太郎の「国取り物語」や「稀代の英雄」などと比喩したりした時期があったからでしょう。

国盗り物語では、斎藤道三は寺の僧侶から還俗して武士となり、美濃一国の太守になる姿や、一国から一代で数カ国の太守にまでなる人としての機転と、采配(結果として現れるのは当時は国土、石高であった)に関心が強かったので、僕個人としても出奔してなにか一から試したいという思いがよく感じていました。
現状と今の当たり前から出て、全ての無の環境から、全く未知の環境でトライしたい思いです。もちろん無一文で。

そして単身沖縄へ。
※沖縄としての思い入れや、沖縄を選んだ理由は、もう一つありブログ記事にある「沖縄へ住んでいる理由」を読んでみてください。

沖縄へ住んだのは1999年の夏頃からです。
※93年ごろにも半年間くらいは住んだこともあります。
始めて住んだのは石垣島で、以前には2度ほど観光で訪れたことがあるくらい。右も左もわからない地へ居住をして仕事をして、友人をつくり、日々の生活を営み始めました。

そして沖縄で2002年には自分で事業をはじめ、2008年ごろには飲食店、物販店、ゲストハウス、ペンションなど、多くの事業展開にいたり、最大で同時期に7店舗まで展開するところまで成長しました。
※一部は共同経営

一人でスタートして動いてもなんでもできるというのが、自分自身に対しての大きな自信となったのですが、それが海外への転進にも大きく影響することになっていきます。

国内の事業ではタイやアメリカなどからの貿易もやっていたので、海外とのビジネスとしてのつながりはかれこれ長く、現在では18年目を迎えています。

そんな中、国内のマーケットの縮小、いわゆる少子高齢化による労働力減少と消費マーケットの減少にも関心が高まっていました。
並行して、僕の中では東南アジア諸国は生産国(仕入れ)というポジションでしたが、日本の失われた20年という経済低空飛行の間にASEAN諸国は経済成長を遂げ、生産国というポジションを保ちながら消費国という成長を遂げることとなり、視点が逆転現象を始めたのです。

思い切って外で稼ぐ。

こんな発想に芽生えたワケです。

もちろん生涯設計に海外で住む。複数の国で会社を営み、各国を移動しながら生活する。という漠然とした夢があったわけですが、早速実行に移す時が来たわけです。

思い立ったたら即行動。

海外でのビジネス支度を始めたのは2011年。そしてタイで法人を設立し現在のビジネスを始めたのは、2012年、日本にホールディングスとなる基幹法人を設立したのは2013年で、現在はカンボジア法人、ミャンマー営業所と設立してそれぞれが独立採算で成り立つ形をとっています。
※ミャンマーのみ非独立採算

もちろんタイをはじめ。ミャンマー、カンボジアには初めに1単身で乗り込むところからスタートします。
情報収集、ビジネススキームの確定、人脈作り、拠点の確保などなどです。半年間は自分自身でビジネスを営みますが、半年後には後任引き継ぎをスタートし、僕は隣の国へと移動します。
早すぎる感は否めませんが、アジアの新興国は今は旬であり、来年では遅すぎると感じている所以でしょう。

なので僕の進む道は荒削りなところも多々ありますが、角を取りきめ細やかにしていくのは、後任の仕事と考えています。
※適材適所ですからね。またこのビジネスはまだ初めて3年で年輪がありません。日々改善の連続です。
僕の一番の仕事は単身で乗り込むこと。これにつきます。

一人で行くと、一人で考え、他人に頼らず、人に聞き、人に学び、人と交わり、新たな環境が生まれ、今まで自分自身を束縛してきた先入観や固定観念などは全て一新され、ピュアな心で新しい何かを考えることができます。

あと、沖縄でもそうでしたし、タイでも、カンボジアでも「日本ではこうだ」「タイ人だから」「カンボジアらしいね」などと日本基準でのものや考えの押し付けを現地でする日本人と多く遭遇しますが、国違えば文化も違い、文化違えば考えも、行動も違うのは当然だったりするのです。

なにも周りの国は日本になろうとしているわけでもないでしょうし、今の日本には目指すもの、日本を模範とするのもそれほど多くははないのかもしれません。※マレーシアのマハティール元首相も昔の日本には多くの見習うべき模範でしたが今の日本にはありません。と言っています。

もちろん日本のマナー、ビジネス流儀や飲食店ノウハウ、衛生管理、行程管理など分野分野の専門的なノウハウは取り入れるべきところは実に多いでしょう。
ですが、それを途上国で、サービスがダメだ、衛生管理がダメだとダメだしや日本を比較対象として、文化と民度の成長過程でまだ日本のような成熟期に達していない国で、比較することこそタイムマシンで30年、50年未来から過去に来て、なんでこんなことができないの?
というのは愚の骨頂だったりと思ってしまいます。
※多くの日本人がそのように感じます。

先入観、今までの常識を捨て、ピュアな心で現地に入る。これが一番大切なことなのかもしれません。

持ってくると同時に入り込む。一体化する。

沖縄に住んでいた時のことでしたが、沖縄では県外出身者のことをナイチャーと呼び、沖縄県出身者のことをウチナーを呼んでいます。
ナイチャーは自分たちの生活環境や文化をそのまま持ち込む人も多く、「沖縄だから」「東京はこうだよ」と自分たちの経験や風習をそのまま持ち込みます。決してわることではないのでしょうが、見ていて少し痛いと感じることが多々。。

また県外出身者同士で集まり輪になる傾向も多く、僕的には何のために沖縄に来ているのだろうと疑問も多く感じていました。
沖縄では県外移住者がブームではありますが、その多くは2年以内に沖縄を出て行ってしまいます。一説では沖縄に定着できるのは2割程度とも言われています。

今なせこのようなことを書くのかというと、タイやカンボジアでも同じように見えることが多々あるからです。
日本人は日本人でかたまり、ことあることに会を催していることにも実は違和感を感じているからです。

結果として多くの方が、海外にまで来て居住日本人、また日本国内の日本人をマーケット対象とする傾向もかなり高く、ここにも違和感を感じています。

僕自身は僕の会社には僕以外はカンボジア人しかいません。

インターンや別に日本人社員もいますが、顔を合わすのは少なければ数週間に1回くらい。
一緒に渡ってきた仲間もいます。1ヶ月以上顔を合わさないことも多いです。
ご飯食べに行くのも、遊びに行くのもカンボジア人の方が圧倒的に多いです。

別に日本人として感性を高め合うわけに来ているわけでもなく、日本をまだ懐かしく思うわけでもなく。。少しでも多くその国感性を取り入れたいし熟知もしたいという思いもあり、周りを見て複雑な思いが続いています。

沖縄に住んで、地元の人たちと混じり合い、共に学び、共にビジネスをしてきた結果、たまたまでしょうが県外出身の友人は10%程度。なので沖縄でも短期で一定の仕事が出来たのではと自分自身で感じています。
せっかく海外に来ているので日本人同士の交友は今の半分でいいのではないでしょうかと思う今日この頃です。

そして僕自身のビジネスもマーケットは日本人対象から、現地の方や外国人を対象にシフトしていく過程がこれから始まります。
※自分自身も海外に来て日本人対象のケースが多いのに違和感を感じていたので。

これから2年で日本人マーケットから外国人マーケットにシフトさせていきます。

あくまでも個人的な感想や思いですので、主義や趣旨の違い、考えかた、捉えかたの違いも多いかと存じますのでご理解ください。



紺野昌彦
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